愛崎麗子の哲学思考

棺桶に入ったときに、後悔のない人生を。

面白い文章を書くのに行き詰まる。そんなときは、本を読もう。

 

この場所は、上司からの監視も親からの監視もない、唯一私が「一人の私に最も違いであろう場所」である。とはいえ、誰かに読んでもらいたいという自己顕示欲を完全に打破できているわけではない。よって、この場所は、私が「より一人に近い場所」という位置づけなのだと思う。

 

しかしこうやって、自身と向き合うブログというのは非常に難しいものだ。これまでは「読者にこう書いたらこう反応がきてこう面白がられるだろう」という視線で書いていた。「真実を書く」ことが第一目的なのではなく、「ウケる」ことが第一目的であった。もちろん見抜く人は見抜いていた。ウケを狙わないで真実が読みたいのだと。

 

だが、実際に真実を書いてみるとどうだろう、この散文。このまとまりのなさ。やはり読者を意識しなければ「読まれる文章」を各のは非常に難しい。しかし「読まれることを第一目的とする」と、私の心の奥底の叫びは、ヒョウキンものを装った文体によって、かきけされてしまう。

 

真実を書きたい。そして人々をひきつけたい。真実を、真実を。

 

そんなジレンマの中、私は面白くないかもしれないし、でもそんな迷いの様を面白がってくれる人がいるかもしれないし、、ということに期待をかけて、ただひたすらに、「作り込まない」そう、「力みすぎない」ありのままの私を、ここに表現していこうと思う。

 

導入部の工夫もない、そしてオチもない。

 

だけれどこれが本当につまらないこれっぽっちの私の思考なのだ。